2016年10月30日

優しさを感じて気付いたこと

最近ちょっと自分に優しくなれたかも。失敗する自分を柔らかく受け入れられるようになれたかも。そんな浮かれ気分な私がゲシュタルト崩壊する出来事に出会うことができました。

きっかけはほんの小さなことなんです。しかも相手の方のご厚意や優しい心遣いを幾重にも受けていたことが多方面から重なってきて、つつつ。。。と小さなつまづきが偶然重なることでいつの間にか思い上がっていた自分自身が露呈したことに動揺してしまったのがきっかけでした。

謙虚であること自体を目的としないように、自分自身を客観視することで見えてくる自分自身をしっかり自覚することで、弱さ至らなさを見つめてゆこう、という心構えでいたつもりが、いつの間にか慢心が思いもかけないところにはびこっていました。
そのきっかけが柔らかな優しさという辺りが、自分でも不意を突かれた感じでした。まるで軸足の一つをのせていた地面が突如砂となってサラサラと崩れ落ちて行ったときのように、かくっと気持ちのバランスが揺らいでしまったのでした。

きっとこれは私の内側に必然性があったのだと思って、内省を続けると、自分の中のめっきや虚飾の部分が次々と剥がれ落ちてゆくようで、今までにない心細さに、一瞬涙ぐみそうになってしまいました。

胸をえぐられるような思いは一瞬で消え去り、少し鬱々とした数時間を過ごした後、自信が無く心細い一人ぼっちの自分を改めてかみしめることが出来たことへの感謝の思いがふつふつと湧いてきました。

積み重ねとか、努力とか、目標に向かって進んでゆくことから生まれてくる自信はもちろん尊いし、有意義だと思います。でも、今までの私は「根拠のある自信」というものに、頼りすぎていたようでした。自分自身を条件付きでしか肯定できなかったのです。

何も持たない自分がただ一人この地上にあるとしても、私の肉体がここにあって、心臓の鼓動が続いている。私の意識が肉体に宿っているそのこと自体が祝福であることを以前教えていただいたのに、もうすっかり忘れていました。

何度でも忘れていい。何度でも心細くなっていい。不安に駆られたり、自信が無くなったり、足元が揺らいでしまったり。自分のダークな部分にたじろいてしまったり。こんな様々な彩り豊かな感情を肉体を持ったまま体感できるって、なんて恵まれていることか。

私自身の感情のふり幅の広さは、色々な方から繰り返しご指摘いただいておりますが、昨夜も切なさを仁力味わった後、深夜ラジオを聞きながら、涙が出るほど笑い転げておりました。ガッツリ落ち込んだ後で心のふり幅が余計広がっていたのかもしれません。嬉しいめぐりあわせに感謝です。

まとまりませんが、何かを手放す変化の時だったのかもしれないなあと思って、自分の虚飾の部分を見つめなおす良いきっかけを頂けた出来事に、心から感謝いたします。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました☆


posted by e-aprico@杏の木 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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