2016年11月28日

好きの対極にあるモノ

自分と違う選択をしている方を、異なる意見を持っている方をどうやったら尊重してゆけるのか。
ずっと長いこと課題でした。私自身が他の方の 『偏見』に対して皮膚感覚を含めて過剰に反応してしまうことが切なくて、私自身の中に無自覚に内在する『偏見』をひたすら見つめて癒しをとどけてゆく日々でした。

何かを『好き』と思うことが、そうでないものを『嫌い』と思ってしまう。好きなものと苦手なものと、両方が増えてゆくことが、私の中で切なくって、ああ今苦手に直面しているんだなあと、その事に出会わせてくれためぐりあわせに感謝を届けることを続けてきました。
先日もとても切ない思いをしたばかりでした。私とは異なる選択をなさった方。それにはその方の事情があってその方の思いがあって、その方の人生。その在り方を心から尊重したいけれど、そこに苦しみが付きまとったり、私自身の思いを否定するような気持ちになってしまうのは悲しい。いったいどうしたらいいのかなあと思って、心のどこかで答えを探していたようでした。

今までの私の中で『好き』ってとても大事な感情でした。でも、実はそこにあまりに重きを置きすぎているのかもしれない。『好き』の気持ちに重きを置くあまりに、切なさやつらさが付きまとってしまうことに、耐えかねてきたというのが正直な気持ちです。

今まで私が抱えてきた『好き』の対極にはどこかで『嫌い』がありました。『好き』が増えるのと同時に『嫌い』なものも色濃くなる。何かを好きなあまりにキライが増えてゆくような、そんなあり方自体を手放してゆこう、私自身の中で、そんな決心があったようでした。

私の中でとても大切な感情だった『今までの好き』という思い。どこかで執着だったり、依存だったりの側面があったようでした。その思いをこれ以上抱え続けるのはもうつらい。そう思って手放していった後、『新しい好き』がやってきました。

『新しい好き』の思いは、対極に苦手を持たない、どちらかというとやわらかな思いです。ああそうか、今胸がチクッとして教えてくれたのは、『新しい好き』という想いは、なにかにYesを届けるような『好き』なのかもしれません。

恋している時に世界がバラ色に見えてくるように、『好き』な何かに出会ったことが幸せで、好きの相手がいる世界が愛おしくって、思い浮かべただけで幸せが自分の内側に広がってゆく『好き』。

私自身、この『好き』の在り方にたどりつきたくって、ずっと待っていたのかもしれない。ココは一つの通過点であり、またここからどこかに向かって歩いてゆくのだと思いますが、ようやくこの地平線に立てたなあと、ほっとしています。

私の進み方ってどこかゴールを意図するものよりも、手探りで道を探してゆくような進み方が多くって、何をしようとしているのか、自分でも分からないことが多いです。ようやく乗り越えて、自分の歩いてきた道のりが少しだけ見えてきました。

これからも失敗しながらも手探りで進んでゆくんだろうな。でもそんな自分自身にねぎらいを届けて行けたらと思います。

最後までお読みくださり、本当にどうもありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/177841791
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック