2017年02月08日

自分の資質を生かして行くこと

大きく体調を崩すことがないのは、きっと良いことだと思うのですが、風邪の二歩手前位の症状がゆるく続いています。今朝は暖房が利いた部屋の中でも体が冷えていて、久しぶりにホカロンを張ってもまだ物足りず、先ほど湯たんぽを沸かしました。ゴミ捨ての際に羽織ったキルティングコートを脱ぐ気になれないのは、身体が熱を欲しているのかもしれませんね。

先週のスーパービジョン以来、自分ってなんだろ、というあたりにずっと向き合い続けています。自分のことって自分ではよくわからないので、信頼するスーパーバイザーさんに言葉で解き明かしていただけるのは、本当にありがたい。受け取った言葉を自分自身と照らし合わせてゆく作業をずっと続けていた気がします。

趣味的にスピリチュアル的なものを消費していた日々を経て、自分自身を癒すためにワークの伝授を受けて間もなく、道行く人の光の側面がそこにあるものとして感じられるようになりました。今思えば、オーラ視などとはまた違う階層につながったのかなぁと思います。

その輝きに貴賤はなく、その方が今私に見せてくださっている相対的なもの、ということがごく自然に感じられました。
おって、闇的な存在へも意識が開かれてゆき、光から闇へのグラデーションの中でのパズルを一枚ずつはめてゆくときのように、人間ならではのあり方を体現してくださっていることへの畏敬の念が湧くことすらありました。

光、というと誤解が生じてしまうのかもしれませんね。人の光の側面だけではなく、生命体や物質の持つ本質的な輝きの側面を垣間見させていただいているのかもしれません。

有料でエネルギーワークを提供するようになって、クライアントさんとより深くかかわらせていただくようになってからも、ずっと人の輝きの側面ばかりが見えていた気がします。異物除去とか封印解除とか、負の側面にフォーカスすることが必要な場面であっても、圧倒的な光の中にあるかすかに振動が異なるもの、位な感じで、ずっと輝きの中でワークしていた気がします。

他の方の素晴らしさばかりが伝わってきて、自分自身にも自分のしていることにも自信が持てない日々が長く続き、委縮しすぎな私に本気で叱ってくださる方に何度も出会いながらもきちんと愛として受け取れず。ライトワークとしてお金をいただかないワークを大地を相手にさせていただいているときのささやかな充足感を私自身の糧としてきました。心臓が今も動いているから、私は存在していてよいのだ。そんなセリフを本気で自分につぶやく日々もありました。

自分の中ではあまりに当たり前な出来事だったので、今こうして書き出してみるまで、そのことに何が意味があるとは気づいていませんでした。でも、私がその人を通してその人の内なる輝きを見るとき、そのことによってうちなる輝きは具現化されてゆくのかもしれません。

今回「この内なる輝きを地上に」というテーマで、一斉ワークを開催することにいたしました。ただ今、ご案内文を鋭意作成中です。

私の感じている内なる輝きの世界が地上に喜びとして具現化されてゆくこと、そのプロセスが「覚醒」とも呼ばれるのかもなぁと今ぼんやり考えています。せっかく輝きが具現化されるのなら、美しくあってほしいし、なによりその方の生活を豊かにするものであってほしい。

今すでにある「美しさ」の枠にあてはまらない私だからこそ、ご提供できるワークがあるのかもしれません。
肩の力を抜いて、ゆるっとご案内文に励もうと思います。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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