2017年02月18日

創造の地平の果てに


実家への帰省を経て、今来月の陰陽師体験会の企画書を作成中です。一度は前向きになれたのに、昨日は勇気が最小値かも、という位どんよりしてしまって、手探りでおずおずとさまよう寂しい風情の私がいました。

深夜になって、ふと『そっか、そのままなんだ』と思ったら、するっと力が抜けてゆきました。責任をしっかり取る、誠実にワークする、そう言い聞かせるあまり、今よりもっと良いものをと思い詰めていたようです。


責任をとることも、誠実にワークをすることももちろん大切だし、心がけています。でも、今回の私は、いくらなんでも今の私のままじゃ無理でしょ、もうちょっと何とかしないと、という水面下の思いが内から湧いてきてふきだしてしまったようでした。

たしか、仲裕美子さんの書かれた文章の中に、知らないこととかちっぽけなことを励ますような文章があったなぁと思いながら、不思議な平穏につつまれて、『そのままでいいんだ』とほっと眠りについた翌朝、しばらくぶりの穏やかな気持ちで目覚めることができました。

内側にあるあったかな思いを、言葉にしたいと探しつつも、なかなか見つからないまま午後になってしまいました。さきほど仲さんが書かれた文章の中に、このあたりかも!という箇所を見つけることができたので、一部引用させていただきます。

リーブスインスティチュートHP、リーブスジャーナル内『光と闇の統合 2016年8月 仲裕美子』より一部抜粋。
http://jp.leavesinstitute.com/journal/%e5%85%89%e3%81%a8%e9%97%87%e3%81%ae%e7%b5%b1%e5%90%88.html/

「知っている」という行為が、
経験や与えられた知識によるものではなく、
内なる叡智により突き動かされて、
自分自身さえを創造しながら、
新しい経験や知識を作る行為によって、
私達にもたらされる時、
私達は、孤独と不安と絶望を超えながら、
偉大なる「ひとつ」を生きることになるのです。

時折私が無性に切なくなるのは『自分自身さえを創造』するというプロセスの中に身を置くからかもしれません。答えを探すのではなくって、問いかけ自体を、問いかけるときの自分の立ち位置を模索したい、というのが、最近の願いでもあるので、何か有形物を生み出す前の状態、自分自身を創造するという表現が、身に沁みるように思えます。私のささやかな行為も、創造という行為の一形態ではあるのかもしれませんね。もしそうだったら嬉しいな。

心の平穏をゆっくり味わっているうちに、今夜行うワークの調和にとれて美しさの側面がしみじみ胸に迫ってきました。昨夜はこのビジョンを感じてほわっと安心したのかもしれません。受け取ってくださる皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

今の私に響いてきた箇所を一部引用させていただきましたが、全文もとても含蓄に富んで美しい文章なので、もしよろしかったら、リンク先をご覧になってみてください。

今回の私の混迷ぶりは、自分が満足できるものを追い求めるという私の資質が原因だったのかもしれない、とようやく見えてきました。ワークの開発をお手伝いいただいた段階で一度完成していたものを、ご案内文としてまとめる段階で一つ創造のプロセスを経て、またそこにも満足できなくなって、昨夜遅くまでより良いものにしよう、と無意識化で練り上げていたようです。提供する側は楽しいかもしれませんが、お申し込みを迷っている方にとっては、どのあたりで着地するのかが見えにくくなってしまったかもしれません。そんな中、ご縁を感じてくださってお申し込みくださった皆様、本当にありがとうございます。ようやくご提供の準備が整って、私自身、嬉しいのと同時にちょっとほっとしています。
光と大地のマリアージュ.jpg
本日18日夜18時まで、お申し込みをお受付しております。ご縁のあります方の目に留まりますように。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。

posted by e-aprico@杏の木 at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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