2017年04月14日

祈りの形を探しながら

今私の中に祈りを希求する気持ちと無力感と、諸々の感情がせめぎ合っています。今はまだないものへの憧れも少しあるのかな。内側にある何かに形を与えられないかと思案していたら、携帯の中に「祈りの言葉」をみつけました。日頃はあまりアファーメーションを使ってこなかったのですが、こんな時にこそ言葉が役に立つのか!という感じ。

4つほど保存してあったものを、交互に使い、その言葉に乗せて自分のこころを解き放つような形で「祈る」ということを続けています。


自分の状態によって、どの祈りの言葉がしっくりくるのかが変わってくること、今回初めて知りました。祈りを求める心がここまで強くなったのはしばらくぶりなのかもしれません。

何かのために祈ると言うより、これほど祈りを希求する今の私にはたくさんの癒やしが必要な気がして、自分の心をなだめるために祈るという行為を行っているようです。最初の頃はもっとよい状態から祈りを届けられるようになりたい、そんな気持ちが大半を占めていました。

本当は自分の言葉で祈れたらよいのかもしれません。祈りの言葉や祈りという行為への向き合い方が自分の中でぐっと変化したのか、既存の祈りのなかにある、言葉の指向性のようなものが今とても新鮮にかんじます。私の内側からはとても出てこないような言葉の選択の仕方にちょっとドキドキしているのかもしれません。

どなたの文章からの引用かメモをしてあったので、こちらにも掲載の許可をいただけばよいのかもしれませんが、引用の場合には、それらの文章に添える日本語を私自身が紡がなくては、なのでしょうか。う〜んハードルが高いです。

この文章を書き出す前より、切なさがだいぶ軽減されたのを感じています。祈りも自分への癒やしであることを感じる日々ですが、自分の祈りを探す過程も自らを癒やし、受け入れるプロセスなのかもしれませんね。

自分の物ではない言葉に乗せて自分の思いを届けることで、誰か他の方との共同作業を行っている気もします。そのことによって慰められているのだとしたら、今の私はかなり人恋しくなっているのかもしれません。

祈りの言葉に対する憧れも、うっすら感じる気恥ずかしさも、全て祈りの小舟に乗せています。ああそうか、今までとは異なる形での祈りを自分の中で探しているのかもしれません。今までの自分のやり方では届かない部分へと祈りを届けたくなったのかも。

このブログを書いている間に気持ちがほっと休まること、何度も経験させていただいています。この場所をいただけていることに心から感謝します。
レムリアの光の柱
最後までお読みくださり、ほんとうにどうもありがとうございました☆
posted by e-aprico@杏の木 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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