2017年05月24日

いつかではなく、今この瞬間から

未だに丁寧なお化粧という習慣が身につかない私。日頃は日焼け止めがダマになっていないかを確認するくらいにしか顔を近くで見ることはありません。先日久しぶりに鏡に顔を近づけて自分をじっくり見てみたら、思った以上にシミや皺が。なんだかそのとき、ほっとしたのです。「ああ私人間だ」と思って。

昔から人との関わりの中において、ぎこちなさが生まれてしまうことが多かったですが、最近では、一日に3つ、4つと失言が重なっても、気持ちを軽く保てるようになってきました。以前より、周りの方々が私に向けてくださる配慮というモノを感じられるようになり、これくらいの失敗だけですんでいるのは、上出来、と真顔で思えるようになってきたのです。



最近、自分の中でのマイブームは「心臓は動いているか?」というもの。ニュアンスは今ちょっと創作しちゃいましたが、生きている、そのことだけで、多分なにかに貢献できているはず。というのが今この年になってようやく感じられるようになりました。

今、手縫いで半着を縫うお仕事の準備をしているのですが、縫い物って縫う人の感情を縫い止めてしまうので、幸せで楽しい気持ちを縫い止めてゆきたいなあと自分の日常を改めて見つめています。その中で、「縫い物」という具体的な物質がなくとも、エネルギーワークだって一緒だなって思えてきたのです。

4月5月に受け取らせていただいたワークのおかげもあって、私の発するエネルギーが以前より深いところに浸透してゆくように変わっていっています。私は神様ではなく一人の人間なので、純度を高めてゆくことはそう簡単にはできません。でも、私という人間の今を、人間らしいところをたくさん抱えたままの今の自分を受容してゆくことは、今この瞬間から始めることが出来るのだなあと、そのことを改めて感じ直しています。

自分自身の至らなさを幾度も感じてきた私が、今ここにある自分を受容することはまるでバンジージャンプに飛び込むことのように勇気がいることでした。今も恐れや不安は私と共にあります。でも、あんなに嫌々ダメダメいってきた私でも自分にこれくらいのOKを出せる。そのことの大変さは私自身にしか分からなかったとしても、その勇気を私自身は感じることが出来る。そのことの幸せを今かみしめています。

周りと比べてではなく、世間的な評価ではなく、何か結果を残したからではなく、何かに努力を続けたからではなく、「心臓が動いている」から。それは自己肯定を先延ばしする言い訳を探そうとすることをあきらめることでもあるのかもしれませんね。

こんな記事を私ごときが投稿することに、下書きをしながら、なんども胸のつかえを覚えたりもしました。自分の至らなさを自分では自覚しているつもりでも、まだまだ思いもよらなかったような至らなさがたくさん隠れているのかもしれません。それでもあえて、自らを受容する。私の意図とは関係なく、休まず動き続けてくださる細胞の一つ一つに喜びが宿るように。生きてくれてありがとうを自分の身体に伝えてゆこうと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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