2017年12月26日

世界の見え方が変わるとき

何かショックなことがあったとき、ちゃんと怒れるってステキだなあと思ってます。周りが見えなくなったり、何か投影して責任を転嫁している場合も(私の時は)多々あったけど、自分が人間であるという自覚がちゃんとあるというか、その根っこの部分に感動しちゃいます。

最近の私は、ショックなことがあると、生きる気力がシュルシュルと減って行くというか、もう抵抗しても無駄なんじゃないかとか、命のはかなさのほうに目が行ってしまったり。

今日も危うくそのモードに落ち込みかけたのですが、ふと、先週出会った出来事でのショックを思い出したのでした。
たまたま近くにいた方の何気ない世間話の片鱗が聞えてきただけなのですが、あまりにびっくりした私はその記憶自体を封じてしまうことにしたのでした。

外出先だったので、帰宅後、そのことをさっと思い返してみました。案の定深いトラウマを刺激してしまった出来事だったようで、しっかりと癒やしを届けて学びを受け止めた方が良い案件の模様。これはじっくり取りかかろう、と思っただけで、後回しにしてしまったのでした。

今日も全く違う角度からその部分を刺激される出来事があって、再びトラウマが浮上。おたおたして、うろうろして、とりあえず髪でも染めようと思ってヘナで髪を染めること1時間。お風呂場で洗い流しているときにふと垣間見えたのは、自分自身の本質と、それをちゃんと発動できずにいることをふがいなく思っている自分自身でした。

私が記憶を飛ばしてしまうほど傷ついたのは、いつか自分もこんな風に嘲笑されてしまうのかもしれない、という未来への恐怖だったようです。本当の対象は、動き出せないことへの言い訳を見つけて、今の自分を正当化しようとしている私自身への歯がゆさが大きかったように思います。

何かに対して、怒ったり、反発したり、そんな元気もなくなって、落ち込んでしまったり。まだ反応できている間はいいけれど、無かったことにしてしまおう、と、思考停止になってしまうこと。もしかしたら、まだ私にもあるのかもしれません。

今回は拾い上げることが出来たけれども、全てに目を配ることは、おそらく出来ないのでしょうね。

小さく細かく傷ついても、また小さなことで喜んで、嬉しくなって、笑顔を交わして、時に喜びを分かち合って、そうして、支え合って生きて行くのが人間なのかもしれませんね。

夕ご飯は何か美味しいモノを食べて、自分をちゃんといたわろうと思います。人間である自分自身の幸せを大切にして行こうと改めて思った午後でした。
岩塩キャンドル.jpg
独り言を最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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