2018年06月05日

発見と受容の過程で

最近、どうしたらこの人のことを理解できるんだろう?と気になる方がいて、距離感をはかりかねていました。私の側が過剰にこだわってるんだよなあと思いつつ、どうしたらよいのか分からなくて。

けさ目が覚めて、枕を手にしているときに、ふっと気がついたことがありました。
「光の当て方だよ」という言葉と、今まで見えてこなかった鍵となる側面が感じられて、そうだったのか〜。と深く納得。

「浅い」とか「深い」とか、軽々しく使えないなあと思った出来事でもあり、分からない、だけど気になる!という存在と出会えるって、本当にありがたいなあと改めて思った出来事でした。

ちゃぶ台返し、という言葉もありますが、ある一つの認識によって、今まで持っていた世界観が大きく変化して行くという経験を何度かしてきました。そのたびに受ける衝撃が自分にとって大きかったので、それまでの自分を否定したくなって落ち込んでしまったり、アタラシイ世界観を組み立てて行くのに、時間がかかってしまったり。

今年の春だったか、自分と世界との間に「私の世界観」という虚像を作って安心しようというややこしいことになっているのでは?と新しい概念を柔らかく受け入れられるように、ちゃぶ台返しのプロセス自体が発生しなくなる方向で自己調整を進めていたのでした。(自分でもうまく言語化できていませんが、とりあえず書いてみる。。)

以前「健全な猜疑心」というフレーズを教えていただいて、繰り返し自分にも言い聞かせているのですが、私はどうも「健全」の範囲が上限値に近いギリギリくらいだと安心する難儀な性格のようで、案の定たまに猜疑心が暴走します。大丈夫?本当に大丈夫??と老婆心が顔を覗かせるのはこんな時。今回も、「ちゃぶ台返し」を避けるあまり、波風の立たない平穏な暮らし的な物を理想としすぎていたようでした。

私の理解を超えた存在に出会えること、興味の対象に出会えること、すぐには答えが導き出せず、右往左往してしまうこと、私の知らない世界が、まだまだある、たくさんあるって、本当に幸せなことだなあと思います。

今までこんなことも知らずにいたのか!!という出来事に出会うとき、思わず今までの自分にもやもやした気持ちを抱いてしまうのですが、知らないままで今日まで生きてこれたことって本当に感謝だなあと。

今まで知らなかった世界の側面を垣間見た瞬間、ルーティンにも思える毎日の生活の真の豊かさにふれているのかも。

答えを探している間の、ちょっと足元がふわふわする感じもスリリングですが、発見と受容のプロセスで魂が肉体に再び帰ってくる感じはなんともいえず心地よいです。
半夏生480.jpg
一月ほど早く色づいた半夏生。今年の夏はどんな夏になるのでしょうか。

独り言を最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 14:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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