2019年04月20日

私も幸せに値する?

幸せってどんな味なのか。「堪能する」とか「噛みしめる」とか、「満喫する」とか。「味わい尽くす」なんていったりしますね。

最近も嬉しいことがいくつもあったのに、嬉しさを文章にするのが苦手なのと、つい照れちゃうのもあります。嬉しさを味わう力と、それを表現する力量と、両方にまだ課題がある気がします。

なんで嬉しさと幸せとをさくっと短くまとめられないのか。味わい力と文章力の側面以外に、この辺りが原因かも!というのが見えてきました。
幸せな出来事を自分のことでなくても見聞きしたら嬉しいです。
幸せな出来事が実際に自分におこってみると、嬉しさもわき上がりますが、ご縁があった出来事をまだまだ消化し切れていない気がしたのでした。

遠慮がちにそっと出し、なんてどこかで目にしたフレーズですが、私が受取ってよいのだろうか、という思いがずっとつきまとっている模様。私が幸せになってしまってよいのだろうか?私が、こんなに幸せになってしまってよいのだろうか??という問いをずっと自分に問うている気がします。というか「私などは幸せには値しないはず、きっとそうに違いない」という、頑固な思い込みが心の奥に放置されていたようです。

へそまがりで、イヤイヤ君な、壁際でそっぽ向いてるような偏屈な私。幸せな出来事があったとしても、 「たまたまだよ」「運がよかっただけ」「偶然じゃない?」「不相応だよ」、と幸せに自分で水を差してる模様。やっぱり、自分が幸せになると、他の誰かの幸せが減っちゃうんじゃないか・・そんなことを半ば本気で思っているみたい。

幸せって絶対量ではかれるものではないはず。たとえ「偶然たまたま運良く」幸せな出来事に出会えたのだとしたら、一生でただ一度だけの勢いでしっかり満喫しちゃうのも手なのですよね。

12年前、「幸せ」が目の前にあることで悲しくて泣いちゃった私。まだその頃からあんまり前進できていないのかもしれません。。

今目の前に「幸せ」があるって、幸せ慣れしていない人にとっては怖いです。今も思い描いただけで心臓がきゅっと縮み上がる感じです。「幸せ」になると周囲から攻撃されるっていう恐れがまだまだあるのでしょう。

私自身の「繊細さ」を「幸せ」な現象の中にあるネガティブ要素をあらかじめチェックすることに注ぎ込んでいるような感じかな。

私の内側にも「幸せ」を希求する気持ちがあるはずだし、それを求めて実行したからこそ「幸せ」だってやってきてくれた。あとはそれをしっかり味わう勇気なのかなぁと思います。

今ココにある「幸せ」に、私はちゃんと値する。躊躇をのりこえて、葛藤を乗り越えて、恐れを乗り越えて、一歩勇気を出して自分が幸せに値することをちゃんと受取る。

一瞬の地には指の間だからすり抜けて行ってしまう幸せであるのかもしれないけれど、はかないからこそしっかりと愛でてあげたいです。

私は幸せにあたいする。 今日は何度かつぶやいてみようと思います。
広げたカーディガン
最後までお読みくださり、ありがとうございました^^
posted by e-aprico@杏の木 at 10:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185886336
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック