2019年05月08日

「ちがう」は絶望ではなく

いつからだったか、苦手なものを列挙するのをやめました。というかそちらはあまり考えないように、考えすぎないように気を付けてます。ほかの方との違いが気になる時期も長く続きましたが、何とか対応策を!とその都度頭をひねってます。

苦手なものって条件反射に近いので、言葉にすると「キャー!」って感じなんです。思考として分類するときには「苦手」とマイルドに言い換えております。これもロンダリングワードの一部なのかしら。でも、この言い換えを発見したときは、心がだいぶ軽くなりました。だれだって「苦手」なものくらいあるよね。。

人それぞれ「喜び」があるってわかっているつもりでも、私が「苦手」とするものに心惹かれる方もたくさんいらっしゃいます。誰かの喜びなのだから、それを尊重したいという思いとともに、その思いを共有できない私は心無い人間なのではないか、と悲しみや切なさが浮かび上がったりする時も。

「苦手」から程よく距離をとれるときや、さほど心に残らずに消えてゆくときは、そのままそっと水に流します。忘れるってギフトだなあと思いながら。でも、私の心に切なさが残ってしまうときには、もう一段深い対処をと思って、「苦手」をもう少し分析してみることにしています。

「苦手」!って思ってしまうと見えなかったものが、どこの何のどの部分が苦手なのか、詳細に検討してゆくと部分的に受け入れられることも。たいてい複数の個所が発生個所になっているので、それらの濃淡を無理のない範囲で感じてみたり。複数個所の位置関係や関係性を感じてみることで、気持ちはだいぶ落ち着いてゆきます。

そのうえで、自分が「苦手」と思っていること自体を私の全存在を含めて丸ッと肯定してゆきます。生れ落ちてから失敗を含めて積み重ねてきた人生の上での選択を受け入れる感じ。。そして、私が「苦手」なものを好きと思って心惹かれてくださる方がある、その方の人生も丸ッと肯定してゆきます。

今の私にはとてもできない選択を行ってくださる方があることにもう一度感謝の思いを届け、人と人との違い自体がギフトでありこの世の豊かさにつながっていることを再度思い返したりしています。

私の「好き」や「喜び」であっても、だれかの「苦手」になるのかもしれない。私が相手を理解しようと努めるほどには、相手は私のことを理解してくれないのかもしれない。それでも、私は私であり続ける。

相手の自由を尊重するのは、相手のためではなく、私自身のためなのだなあということ、最近とみに痛感しています。というか相手の自由を尊重することに見返りを求める心があってはいけないと思って、そこは注意を払って行けたらいいな。
白玉団子.jpg
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。一斉ワークの告知も頑張ります〜。
posted by e-aprico@杏の木 at 11:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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