2020年01月07日

(穏やかさ)の対極を探してみた

〜〜1/8【有料一斉】ドラゴンシャーマン新春版をご案内中です。12/31〜1/3【無償ワーク】無条件の愛のヒーリング終了しました。〜〜

来週伝授を受ける予定なので、既に準備が始まっているようです。昨日は椅子に座ったまま、うとうとしながら、居眠り運転の夢を見て、がっつり昼寝をしたら、再度居眠り運転をして、地面がラセンを描いてぐるぐる回り出す不思議な夢を見ました。夢の中まで眠いってどれだけ眠いのか。

今思えば、寝ても寝ても眠いだなんて、「休んだら?」っていうシンプルなメッセージかなと思うのですが、昨日の私はそのことにちっとも思い当たらなかったのでした。一応自分なりにスイッチをオフにと頑張っていたようなのですが、方向性がちょっと違ったというか。今日のお昼になって、自分を徹底的にねぎらう日にしなくちゃ、とようやく思い当たったのでした。

わかりやすくねぎらうなら、お外ランチでしょ!と市内の印度料理屋さんに車を走らせる途中、そういえば、(穏やかさ)のこと引っかかってたなぁと思い出したのでした。自分の中に穏やかでない部分があったからだとしたら、それは何だったのか、と感じてみたら、「私の中の正義」を社会に投影して、その差異をもどかしく思う、という私の思い通りにならない世界に対しての苛立ちでした。

自分の中のイライラの傾向はある程度自覚があって、暴走しすぎないようにセーブしていたつもりでしたが、出所のない焔のように我が身を焦がしていたような気もします。誰に対して怒りをぶつけたら良いのか分からなくて、自分のふがいなさのせいにして我が身を責めていた気もします。

それが、私は(怒りのヒト)という無自覚な思い込みになって、焔レベルが一定に達していないと不安になってしまって、怒りの対象を探し出してせっせと火をくべるみたいな部分もありました。

お昼の時点では、ココまでしか思い当たらなくて、ちょっと火が強すぎだかなぁというところにとどまったのですが、これは自身の内側にある闇の奥を見つめたくて、そこを見つめるための勇気として心に焔をともしておきたかった気もします。

身を焦がすほどの恋という表現もありますが、自己受容を揺るがすほど怒りの部分に重きを置いてしまうのはもうそろそろいいかな、と思えるようになりました。阿修羅像とか教科書で見てカッコいいなぁと思っていましたが、そこに過剰に自己投影する必要はないですね。

私がしたいことは阿修羅像に自己投影することではなくて、自分野内なる闇を見つめたいということ、そして、愛を持ってそれを受け入れたいということ。

その過程で様々な感情がわき起こるのは人間としてのギフトだと思うのですが、私は阿修羅ではなく人間なので、怒りの火が小さくなることを不安視するのではなく、ああ小さくなったなぁと柔らかく受け止められるようになれたなぁと思います。
パンケーキ
ここまで言葉に出来て、とても癒されました。貴重な機会をありがとうございました☆
posted by e-aprico@杏の木 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/187007392
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック