2020年07月26日

諦観と自己受容と

いつもより自分の気持ちを伝えられた!という文章が書けたあとって、気持ちが後ろ向きになることが多いです。繰り返し自分を満たして行くことについての文章を書いたあとも、虚脱感がやってきて、うまく考えがまとまらないことが続いていました。

そんな中、車の助手席で信号待ちをしているときに、ふと気持ちが後ろ向きになっている自分に気がついたのです。そんな時、自己否定の言葉が五月雨のようにやってくることも多いのですが、この時は、その雨が降らず、「あ、満たそう」、そうすんなり思えたのでした。

不思議なことに、自らを満たす循環が始まり、その切り替わりの早さに、私自身が驚いてしまいました。意外なところに近道があった、というか、気持ちが後ろ向きになってちょっとしょんぼりしている時って、実は自分を満たすところのすぐ近くにいることもある、そのことが私にとってとても嬉しい発見だったのでした。

「自分が今満たされていない」という状態に出会う時に、自分の中にわき起こる様々な感情がありました。癒やしを受け取れていない自分に対する自責の念、やっぱり自分はダメなんだ、という自己否定、まだこんなに癒されてない自分が恥ずかしいという理想主義と評価主義。これらすべてが悪というわけではありませんが、私が自らを癒す時にそれを阻害するように沸き起こってきていたもの達でもあります。

繰り返し自分を満たして行く、という自分自身に対する思考実験として始めたプロセスですが、繰り返す度に、その通り道にある感情達にじんわり癒やしが届いていって、後ろ向きな感情を抱えた状態から、満たされた自分への移行がスムースになった気がしています。

自分を癒すぞ!と勢い込んでいるときは、身体に余計な力が入っているので、ヒーリングが入りにくい場合もあるのですが、後ろ向きな時ってある種の諦観があり、身体から余計な力が抜けているときでもあるので、ヒーリングが入りやすい場合もあるのかもしれません。

一番大きかったのは、私が「後ろ向き」になっている自分自身を「癒やしから遠ざかっている」というレッテルを貼りがちだったことに、ようやく気がつけたことでした。自分に厳しく他人に優しく、という考え方もあるかと思いますが、自分自身に厳しくしていることで、他への評価も厳しめになってしまう傾向が、私の中にはあるようなので、自分の中にある無意識の思い込みを発見できたことは私にとってとても嬉しいことでした。「後ろ向き」に対するレッテル付けをやめることで、「○○という状態にある」というよりニュートラルな自己認識に置き換えてゆけたらなぁと思っています。

肉体を持って生活することで、喜怒哀楽、様々な感情が去来します。色とりどりの感情達は宝箱に入っている宝石のように、貴重な体験だなぁと改めて感じています。繰り返し自分を満たすことで、感情の起伏をなくしてゆくのではなく、より伸び伸びと自分自身の感情に向合ってゆけるように、感情へのレッテル貼りを少しずつ手放してゆけたらいいなぁと思っています。
瓢箪の花
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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