よく身を焦がす、なんて言い方をしますが、無自覚の内に私の心の中にメラメラするモノが湧いてくるので、切なくなってしまいました。
少し焦っているのと、疲れが思ったよりたまっているのかもしれない、と思い、水遣りのあとに、キャンドルを灯して、お風呂に入ることにしました。
何かで、お風呂でゆっくりキャンドルを灯しましょう、というアドバイスを見た気がして、せっかくなので、身も心も温まろう!と5分位で燃える小さなお誕生日キャンドルをピンク岩塩のキャンドルスタンドに入れて、揺らめく焔を眺めておりました。
今日こそ!と思っていた干し柿作りも、夕食後になってようやく取りかかることが出来、無事6個を干し終えたあと、ふと蠍座のことを思い出しました。蠍座イコール嫉妬、というのは歌謡曲のイメージなのかしらと思うのですが、対人、対モノとの濃密な関係を象徴するのが蠍座であるようです。
私自身に蠍座的要素があるのをうっかり失念する位封印していて、私に「蠍座的な要素がある」と思い出したあとに「嫉妬」的な感情が強くなる、というのは、私自身の性質として、蠍座的な要素がうまく生かし切れていなくて、人と人、人と物との深い交流というのを理解できず、また体現する勇気も持てずにいる、という辺りから、発しているのでは無いのかなと思ったのです。
自分の内側にありながら、うまく生かせず、もどかしい思いばかりが空回りする内に、他の人にあるのに私には無いじゃないか!という「嫉妬心」として現れてしまうのでは無いかしら。(あくまで私の場合です。)
そのメラメラの焰が身を焦がすようで切なくなって、私には蠍座的な要素なんて無い!と見て見ぬふりをしてしまったと思うと、アセンダント蠍座の衝撃も、なんとなく腑に落ちる気がします。毎日のようにホロスコープを分からないなりに眺めているのに、蠍座?って思ってしまうのは、内なる理由があったからなのかもしれません。
人との深い関わり、他の方の表現を見聞きするたびに、様々な在りようを美しいなぁとは思っても、人間的な意味合いではうまく寄り添えずにいます。そんな私自身の在りようを「情が薄いのでは無いか」と、何度か相談したことがあるのですが、「情の表現が人と異なっているだけ」というお返事を頂いた気がします。慰めていただいたのかもしれませんが、私も今生はちゃんと人間として生まれたので、今の私に出来る関わり合い方を、一つ一つ探してゆこうと思います。
私の蠍座のサピアンシンボルに「灯の灯ったキャンドルを持つ若者」というのがあるのです。お風呂にキャンドルはその解説サイトでのアドバイスだったこそ、先ほど読み返して思い出しました。人恋しさが余りに募ると、思わぬ方向に暴走しかねませんね。少しずつ小出しで解消できるように、私の中の蠍座要素を自覚して、優しく見守りつつ、はぐくんでゆこうと思います。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。