本日2つ目の投稿です。1つ目はこちら→「本日満月」。
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2年前の12月に「私もあなたもクリスマスツリー」のテーマで一斉ワークをしたいなぁと思っていました。
そのことをちらりブログ、「お掃除途中」に書いたまま、恥ずかしくなって立ち消えになってしまったのですが、クローズドのコミュニティ内で、クリスマスのオーナメントのお話になり、書きかけだった自分の思いをもう一度言葉にしてみようと思いました。
ブログの時とは想定読者が違うので、文体が少し異なり、通常よりやや萎縮気味ですが、いつもの自分を再度意識するきっかけになりました。少し長めですが、微修正のみで掲載いたします。
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皆様、通りを歩いていて、前からクリスマスツリーが歩いてきたら、どうなさいますか?コスプレか?ハロウィンか?映画でも撮影しているのか?驚かれるかもしれませんが、思わずにっこり微笑まれるかもしれませんね。11月に入るとクリスマスツリーを見掛ける機会も増えてきます。大きくても小さくても、それぞれが愛おしく、一つ一つが素晴らしいなぁと思って拝見しています。
四方に枝を伸ばし、自らを誇るかのような存在感、それでいて、子供のような無邪気さもあって、楽しさと華やかさとがもりっと詰め込まれているのに、均整が取れていて、私もそのような存在になりたいな、と思っていたのが、2年前。(昨年かと思っていたら、もう一年前でした。)
今月の満月ではオーナメントに祝福が届く星回りと伺って、もう一度その世界観を思い起こしています。
華やかで人目を惹く存在感の方のことを「オーラがあるよね」、などと言ったりしますが、全ての方が「輝くオーラ」を持った独自の存在である、と私は思っています。なんて脳天気な、と笑われてしまいそうですが、私の個人的な実感です。余りにまばゆくて、光そのもの、としか思えない存在であっても、実は沢山の叡智やギフトがその光の中にあるのではないかしら、と思うようになりました。
他の方の素晴らしさが目に入るようになると、今度は私自身が余りにちっぽけに感じられてしまいます。ハデに失敗?をやらかした日には、存在すること自体がいたたまれないというか、風になって消えてしまえたら、と願うこともありました。
私は月が強めのホロスコープで、射手座太陽とほぼかっちり60°に水瓶座の月、そして、月が9つの天体と角度をなしていて、オーブが2度以下のものが5つ、知の欠損もあり、自分がどのような状態におかれているのかを自覚するのにとても時間がかかります。ご指摘いただいたことを自分のこととして受け止めるのに、数年単位で時間がかかることもしばしば。
エメラルドタブレットの中に、最も卑しいモノは最も尊いモノに通じる、という“As above, so below” とかいうフレーズがあるとか聞きました。こんなにいたらない自分、でもそんな自分が生きているだけでも実は何かを創造しているのではないか、と最近ようやく思えるようになってきました。こんなに惨めだからこそ、自分だけは自分自身を肯定しよう、もう少し努力してから、と先延ばしにするのでは無くて、今の何物でも無い小さな自分を、無根拠に肯定してゆこう。小さなマッチをするように、小さな灯りを自分自身に灯すように、今も息をしている自分を小さく小さく肯定することを続けています。
全ての人が「沢山の叡智やギフトをオーナメントのようにまとった光の存在」としての側面を持つ、そう、まるでクリスマスツリーのような。光り輝くオーラを持つ方々が道を行き交っていると思うだけでも楽しいのに、彼女ら、彼らが全員クリスマスツリーなのだとしたら!今の私にとっては自分自身の「光の存在」としての側面を自覚することだけでも勇気がいるのですが、今この瞬間も地上で肉体を持って生きているし、こんなにちっぽけだけど、実は私もクリスマスツリーなんだ。。と自分に言い聞かせてみようと思います。
以上、「私もあなたもクリスマスツリー」でした。
*占星術において、月がギフトや祝福をもたらす、と考える方もあるようですが、私自身の体感だと、月は7歳までに獲得した部分で、時に執着などを生んでしまう、というとらえ方がしっくりきます。月をうまく生かせない、または太陽の獲得に困難を感じる方等、この考え方が助けになる場合もあると思っています。
月への考え方は様々かと思いますので、ご自身のお感じになるままに受取られてください。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。