2020年11月12日

お余所行き

2020年11月14日(土)、新月前夜にシャーマンエンジェルによるシャーマニックヒーリングイベントを開催いたします。今回のテーマは「小さなyes」です。
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ここ数日、「正直」であることを、迫られている気がしています。私の中の何がそう思わせているのか。私が私自身であることで、誰かを傷つけているのかもしれない、という思いが、寄せては返す波のように繰り返し届いています。

人が好きだし、人と関わることが好きだし、もっと心を開いて行きたい、と思ってはいるものの、どこかで自分自身のことを「余所行きにならない」、と思っている自分がいるようです。

これって、昭和な香りの漂う言い方なのでしょうか、最近余り耳にしなくなりました。内弁慶でひとりでいるときには好き勝手振る舞っているけれども、余所さまの前に出るとき、人と交わるときには、「余所行き」のモードになりなさい、または節度をわきまえて礼儀正しく振る舞いなさい、ということなのでしょうか。

今検索したら、「普段着と晴れ着の中間」でそのような概念自体が無い言語もあるようですね。自らの装いを他律的に選択するというか、他者の目を前提にして自らの装いを定義して行く、自らを表現する、自らを心地よくすることのために装うと言うより、装うための外からの理由付けが必要な時代があったのかもしれませんね。

お洋服では無くて、言動のお話しでした。多様性を大切にしたい、と繰り返しこのブログでも書いてきていますが、誰のことでも無い、私自身の中にある多様性の部分を、まだ扱いかねているからこその「お余所行き」へのこだわりなのかもしれないと思っています。

私らしさを打ち出したら、きっと誰かに嫌われる、きっと誰かを傷つける。不用意な言動をさけようと萎縮してしまうと、私の場合、とても不自然に映るようです。不器用に覆い隠さなければいけない怖い何かを持っているように映ってしまって、余計に不信感を招いてしまうというか。

そっか、最近「萎縮すること」をかなり意識的に手放しているので、他の方の言動の「ほのかな萎縮風味」にも敏感になりました。自分を表現することが怖くて萎縮に逃げていたのに、今度は萎縮を手放したので、自分自身が照らされてしまうようになったというか、逃げ場が無くなってしまったことに居心地の悪さを覚えているのかもしれません。

あちらを立てればこちらが立たず、時には萎縮したい気持ちが湧いてくるのも自然なことですよね。あまり萎縮しないぞ!を言い聞かせてばかりいると、がまの油のように脂汗がタレてくる用になると困りますので、時折思いっきり萎縮できるといいな。。というか時折、思いっきり伸び伸び過ごせるといいな。
畑と白湯
お芋の皮を畑に持って行ったときに、うっかり入れ物を置き忘れてしまいました。
日暮れ前に取りに行ってこようと思います。

最後までお読み下さり、本当にどうもありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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