人と人はそれぞれ異なっているので、他者と共通項や類似点が見つかったら、嬉しいし、それを共有したくなります。それが私の感じ方とは異なる部分で、「そうそう、そうだよね!」と喜びが交わされることを見聞きする度に、ささやかな祝福を届けるつもりで、ほほえみを浮かべるよう、心がけてきました。誰かに微笑むというよりも、「みんな少しずつ違うんだから、同調できなくても気にしなくていいよ」と自分自身を励ます気持ちもあったかもしれません。
誰かの意見にまるっと同調するよりも、「この方のこの感じ方はステキだな」、とか、「あ、この部分は私が感じないところを感じてくださっているのだな」とか。私自身はどちらかというと、流されやすいし、影響を受けやすい性質なので、丸っと心酔するよりも、自分の心の動きを感じてゆくことの方が、楽だし、楽しいのです。
自分と相手と。どちらも同じように尊重したいし、自分の考えだけが正しいと思わないように気をつけなくっては、と繰り返し自分自身に言い聞かせてきましたが、みなが、「そうそう!」と盛り上がっている中で、「私はこう感じるよ」ということを、どのように伝えたらよいのか、その部分の社会性が未成熟なので、毎回自分の意見を押し込めることが続いてしまいます。
この文章を書いていて、なぜ私がエネルギーの世界に心を遊ばせることが大好きなのか、少し見えてきました。私がエネルギーの世界に思いをはせると、私が私でいることが、誰の存在をも否定しないのです。私がとても楽に私自身でいることができて、伸び伸びと自分自身を解き放てる。沢山の闇すらも、とても親しく、近くに感じられて、ああ、私はココにいてよいのだ、と心から思える大切な空間です。
そのエネルギーの世界の美しさと、現実のギャップをも私はこよなく愛していて、身の回りに様々なモノがある、という状態自体がとても好きなようです。今も、食卓のグラスの隣に、調理用のお塩の小瓶が並んで、その隣に進捗系のタイマーと油性ペンが無造作に置かれています。お片付けが出来ていないからなのですが、その異なる者同士がすぐ隣にある、という状態が楽しくて仕方が無いみたいです。
「風の時代」を様々に論じる方を目にしますが、私には違いがよく分かりません。でも、これからは、個の中に、全ての人の中に、宇宙が宿ってゆく、その傾向がより顕著になってゆくのかもしれないなぁと思っています。
私が私でいること、まずは誰のためでも無く、私自身のために自分を受け入れ、肯定してあげたいなぁと思っています。私は私のママでいい。そう繰り返し自分に言い聞かせてゆけたらなぁと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。