2021年04月29日

まだまだ知らないことだらけ。

「自分を知ること」、とても大切なことのはずなのに、何だかずっと取り組むのを先延ばししてきた気がします。自分自身の理解をもう少しすすめなくては、と思ったのは、「自分を知ること」の言葉が、いつになく私自身の心に響いていったこともあります。内省、という言い方はしていましたが、シンプルな言い回しが、とても新鮮で、この目線で、もう一度見つめ直してみようと思ったのでした。

今日は、そろそろたどり着きたい、とキリキリ自分を感じていましたら、どんどん気分が落ち込んでしまって、昔いた懐かしい場所のように、落ち込んだ気分のママ、低空飛行をしていました。

気分が落ち込みがちの時には、作りたての食事を、と教えて頂いたことがあったので、こんな日には早速実践。最近お得意の、卵を落した味噌汁と、和山椒入りのネギ餅。一汁一菜だけど、作りたてだし、畑でとってきたばかりのネギだし、と、こんな時にはなかなか染みこんで行かないねぎらいの言葉を自分自身にかけてみたりしました。

分からないなりに、感じていたら、ふと、「自分が積み重ねた部分」を余りに軽視している部分があるのでは?と思えてきました。

他と競って、優位に立つ、より高みを目指して、精進する。唯一絶対の正解を追い求める。競技スポーツのような成果主義、私の中では、その部分とは一定の距離を置くように心がけていたつもりだったのです。でも、成果主義の残り香は、私の中に深く深く浸透してしまっているようで、自分でもそれと気がつかないうちに、ゴールラインを高いところに設定してしまっていたようでした。

自分にねぎらいを届けているつもりが、こんなことでねぎらわなくてはいけないなんて、なんて惨め。。みたいに、半分自虐ネタのようになっていたのでした。形だけ褒めていても、心が入っていないというか、いつになったら、本気で褒められる日が来るのかなぁと、半分あきらめモードで言葉を並べていたのでした。

最初は、面白いなぁと思って、始めた「自分褒め」も、形だけ言葉だけを、心なくなぞることを繰り返していると、新鮮さが摩耗してしまって、こんなことも褒めてあげないと出来ない自分がいるのか、、とかえって、落ち込みの遠因にもなりかねないのだなぁと、改めて感じています。

今、「改めて反省中」と、書いてみて、イヤイヤ、反省までは必要ないのでは?と書き直しました。自分の中に隠れていた、強固な思い込みの一つに気がつけた。その事は、きちんとねぎらって、言祝ぎを届けても良いのでは、と思います。良いのでは?と思ってしまう辺りが、既に成果主義なのかもしれませんが、不器用なのによく頑張ったなぁと、ちょっと思うのでした。

変なところで、生真面目になってしまって、反省癖がついております。「反省」のポーズをすれば、なんとか切り抜けられる、そんな気持ちもあるのかな。自分を知る、そんな当たり前と思っていたことが、こんなに難しかったのか、という、新たな発見でした。
山東菜
先日買ってきた山東菜の種、ようやく、少し蒔くことが出来ました。袋に入ったママから、大進歩です。誰かとの比較では無く、私の中での小さな変化を、心の底から慈しんでゆこうと思います。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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