2021年05月28日

階段の踊り場で

昨日、これからも自己表現を続けます、というブログを書いて、というか、ようやっと書き上げることができました。

ささやかな達成感に浸っていたのもつかの間、夜は、やたらに眠くて、今朝はほんのり身体が重いです。なんとか、お弁当は作れたのですが、なかなかエンジンが始動しません。

高揚感の後の、ゆるい抑鬱傾向なら、何度か経験があるので、やり過ごせるのですが、昨日は、ほぼ、高揚感無しで、穏やかにやり過ごしたのに。不思議に思って、自分自身を感じてみると、『余力が出来たのだから、その分無償ワークを』とライトワークを無意識下で始めてしまったようでした。

昨日は、『これからは、自分自身への労りとねぎらいを最優先しよう』と、何度も言い聞かせておりましたのに、早速にこれなのか。。まだまだ思い込みが強いようです。

ささいなことで、バランスを崩しがちな私。『まだ大丈夫』、と思わないで、少し手前で休息をとるようにしよう、そう思わせる事象が、2,3続いておりました。他からの基準に合わせて、休息が必要かどうかを決めるのでは無くて、自分自身に必要と思うだけの休息を、自分の責任で用意していかなくては。そう、何度も言い聞かせていながら、実生活の部分での配分に重きを置きすぎて、無償ワーク、ライトワークの部分を軽く見ていたことが遠因のようです。

対人では無く、大地に対して行うような無償でのライトワーク。これは負荷が大きいからキャンセルしよう、この部分は範囲が広すぎるから、限定的に行おう、と、キャンセルや削減を意図している部分なら自覚できているのですが、無意識下とは言え、身体に負荷が来るほどのライトワークなのかしら。

どうも、その部分を『軽んじている』私がまだいるようでした。私がしているライトワークなんて、と、謙遜ですら無いために、余計自覚しにくくなってしまうようでした。余力が出来たのなら、もっとライトワークが出来る、と、私が『自分を大切にする限度ギリギリ。。』くらいまで、無償ワークを増やしてしまったようでした。

私が人間として、生を満喫するためには、もう少しパーソナルスペースが必要なようです。今も元気なのに、これ以上は欲張りかしら、と思って遠慮してしまったようですが、もう少し、マージンと余力の部分が必要なようです。

あくまで、今の私の感じ方なので、イメージの中での出来事なのですが、私自身が枯渇することの無いように、私自身が、自分自身の人生を、喜びと共に創造してゆく、それを可能とする気力体力を、私自身のために確保すること。今まで以上に、意識してゆこうと思いました。

階段の踊り場で、ふっと一息ついて、辺りの景色を眺めていたというのに、もう上り始めてしまったような。つかの間の到達感から、再び日常が始まります。達成感や多幸感の後に続く、平穏さを、色あせたモノとして感じてしまう自分がどこかにいたのかもしれません。

踊り場を過ぎた後こそ、『凡庸な日常』に潜む輝きに対して、心を開いてゆくチャンスですのにね。

昨日おとといは、肉体の休養をとったけれども、今日は魂の休養が必要なのかもしれません。畑仕事は程々にして、自分の内なる欲求にも声を傾けてゆこうと思います。
野菜パエリア
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
posted by e-aprico@杏の木 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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