私の場合、自分自身のペースをあくまで貫きたい時期と、他者からの視座を必要としていて、この交流から私が学ぶモノは何だろうと、繰り返し噛みしめたくなる時期とが、あるようです。今は、反芻の時期にさしかかっているようで、内側であたためたモノを、グッと落とし込んでゆきたいようです。
久しぶりに、必要を感じて、受取ったセッションを聞き直しています。以前より、私の声が伸び伸びしているように聞えて、ちょっとだけホッとしました。以前は萎縮成分が多めだったのを思うと、少しだけ自己受容が出来たのかしら。
私の思い癖や、早とちりを、諫めるでも無く、柔らかい口調で、繰り返し確認して下さること。まっさらな目線で、世界を見ているつもりでも、私が見たい世界を『世界』と思う傾向が、まだまだ強いのだなぁと、内在するバイアスをゆっくりと感じています。私の意図と、相手の方が意図する部分と。時に重なることも、あります。でも、思いも寄らない方向から光を投げていただく、その体験こそがしたくて、三次元の場に来ているのだから、微妙な差異を、今まで以上に、慈しんでゆけるといいなぁと思います。
私の中に、いまだくすぶる『褒められたい』の欲求、恥ずかしさを通り越して、まだこんなにある、と嬉しくなります。手近で、分かりやすい形に変換して、出来るだけ小出しにしています。私的には、『褒められたくなっちゃった』自分を、クスって笑ってもらえたら、癒やしに繋がっています。誰かに笑ってもらえなくても、誰も見ていなくても、ああ褒められたい私がいるのだなぁと、そっと柔らかく受け入れてゆけたら。いませルフワークで、昇華させていったら、身体の一部がスッと楽になりました。
今自己受容の中の、とても大切なプロセスにいるようです。人生という劇場において、私が主演であり、それと同時に、私が観客の一人でもあるのですね。今一つの山場をむかえつつあるようなので、自分自身にSS席を用意して、今現在進行している、私自身の内的プロセスを、愛在る目線で、見守ってゆこうと思います。

畑の隅で、積んだままになっていた落葉堆肥から、露草が花を咲かせてくれました。ブルーのワンピースが欲しかったので、鮮やかな青が、目にご褒美です。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。