物質のこと、宇宙のこと、未解明の部分が沢山在るのだ、ということを、やさしい挿絵とアメリカンジョークで伝えて下さる本で、たまに文意をくみ取ろうとしていると、単に落ちだったりします。笑いの壺って、言語により少しずつ違うのかな、と思うと、その違いも楽しくて。
分からないことが、まだこんなに沢山在るのだ、その事を思い出させて貰って、何だかホッと安心しました。
不可知をどれだけ抱えられるのか、個人差があると思っています。ある程度のところで、だいたい分かったことにして、この辺りは「前提条件」、この辺りは「常識」等々、日々の生活の基本的な部分は、ルーティンと繰り返し、あとは様々な要素が関わって、予想の範囲内で、まぁ起こりうるかな、という余白を抱えて、日々を送っているのかしら。
私の場合ですが、起こりうる未来を広めに考えるのが、どうも好きなようです。ルーティンもステキですが、そこから、様々な形でこぼれてゆく出来事が、とても愛おしくて、抱きしめたくなります。未来の可能性が、狭まってゆくのを感じると、閉塞感を覚えてしまって、気持ちがグッと下向きに。私が今朝感じていたのは、この閉塞感だったのかもしれません。
窓を開け、ドアを開いて、風を通すように、心の中にも、風通しが必要ですね。いつもと違う場所で、本を読むこと、私にとって、とても大切な時間のようです。
読んでも読んでも、右から左なのですが、何度か良い返したら、少しは記憶の片隅に留まるかもしれませんね。分からないことだらけの今から見える未来を思って、思いっきり深呼吸したくなりました。

編みかけの座椅子カバーです。この上に麻のカバーをかぶせます。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。