気分が高揚してしまって、「この気分を届けたい〜」と思ってしまったり。
翌朝目覚めてみたら、いつもと同じ日常が始まりました。今思うと、いつもより、ちょっと良い感じの日常が穏やかに始まったというのに、昨日の高揚感をまだ噛みしめていた私にとっては、少し色あせて感じられてしまったのでした。
日常に付随する、影なんて呼ぶのはおこがましいようなうっすらとした陰影を、とてもネガティブに感じてしまって、ぼんやりと過ごしてしまいました。
夕方近くなって、身体からの肥にあらがうのを止めて、お手上げになってみました。そうしたら、するすると物事が見えてきて。
自分を俯瞰する視点を忘れてしまえた自分が、ほんのりと愛おしいです。押してダメなら、引いてみろ、といいますが、自己受容に関しても、様々に試してみるのが、功を奏する場合もあるのですね。
自分のことをようやく見つめられるようになって、感じたのは、日々自分の身体が変わりつつあると言うこと。今までの感覚や、今までの経験値で、これくらいなら、たいしたことないし、と判断してしまうことが、自分メンテナンスにとって遠回りになることもあるようです。
連続性と、新たに創造してゆく部分と。毎瞬世界が新しく立ち現れてくる、という詩を書いたこともあったのに、日頃その部分を意識することを、忘れてしまいます。
時折でも立ち止まって、今とココに意識を向けること。しばらく練習と思って、続けてゆこうと思います。
バランスを崩すことがあるから、改めて自分自身を丁寧に見つめ直せるのかもしれません。もっと早めに気がつければ良いのですが、なかなか必要に迫られないと、自分のことは後回しにしちゃいがちです。
繰り返し繰り返し、驕らず焦らず、自分を見つめるまなざしのしなやかさを磨いてゆこうと思います。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。