最初は、半透明のような、穏やかで中庸、風通しがよくて、天井の高い空間が、私の中に感じられました。
周囲の状況に刺激を受けてはいるのですが、私自身の内から沸き起こるように、生まれてきた感情、というか、心の状態のようでした。
最初は、軽く受け止めていて、こんな感情は久しぶりだけれど、一時のことだろうと思っていました。半日ほど過ぎても、まだその状態が続いていて、そのことに、少し心細さを感じてしまったようです。
一時の出来事ならまだしも、しばらくの間継続するだなんて。思いも寄らない出来事だったので、心細さと同時に、孤独も感じ始めたようです。こんなに冷静で穏やかでいるなんて、どうして?、と自分の感情ながら、不安にも感じてもいたようです。
クリアで穏やかな自分として、存在している事へ、心細さや不安が募ってきた頃、今の自分の状態を「よい物、勝っている物」と定義することで、不安を打ち消したい、という欲が出てきてしまったようで、私自身の感情を、色眼鏡で眺めるようになってしまいました。
その後、足音をすくわれるように、感情のバランスが、かき乱され、お盆がひっくり返るように、様々な感情がわき起こってきました。
音もなく、しぶきも砂埃も巻き上がらない、時間にしたら、ごく短い秒数の出来事なのですが、そのさまが、とても美しかったのです。
静かな均衡を保っていた感情が、わっとかき乱される。その心の動きが、今まで目を向けてこなかった心の領域にまで、灯りを届けてくれたようで、心の地図が、平面から、3次元に立ち上がるときのように、今までは、焦点を当ててこなかった箇所の手触りが、伝わってくるようでした。
自分の心に、ある種の静寂を見いだしていた後だったから、その後の心の動きが、より鮮やかに感じられたのかもしれません。孤独を感じることを、心細さと結びつけがちな傾向があること。そして、心細さの重圧に弱い私がいること、そして、心細さを早く手放したくて、焦ってしまった自分もいたようです。
今思い返しても、感情が動く瞬間は、まるで万華鏡のように、美しく、私にとってはとても貴重な体験となりました。

思いの丈の半分位ですが、今日はココマデといたします。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。