それでも、きっと楽しいよ、と自分への声かけを続けて、ようやく始めたウォーキング。初挑戦の中で、自分自身の功利主義が、顔を覗かせていて、自分でも驚いています。
自分の中に、「役に立つこと」を、過剰に求めてしまう気持ちがあって、その部分が、思い込みになってしまっている。そうした部分を手放してゆこう。そう思って、繰り替えしわーくしてきたというのに、今朝も、ドラマの中で「役立たず」と叱られる子供さんを見て、悲しみが、グッとこみ上げてしまいました。
ドラマ自体に、共感したと言うよりも、トラウマが、露出してきた感じです。以前はそれほど気にならなかったのに、何気ない一言が心に刺さるというか、自分のことのようで切なくなってしまう、というか。
自己受容が進んできて、他のトラウマを手放していったからこそ、余計に「役に立つ」ことへの思い込みが、突出してきたのかもしれないなぁと思っています。
お散歩って、気ままに野原を歩いて、景色を眺めたり、立ち止まって花の匂いをかいだりするのが、よいところだと思うのに、私がするお散歩は、「数値化、目標達成、実利、効率」と、なんとも欲張りなのです。特に、用事が無いお散歩には、余り興味が湧かないようで、目的地まで、せかせか早歩きするのが、楽しいよう。今日は郵便局まで、振り込みに行ってきたのですが、ほぼ脇目も振らず、直行直帰。消費カロリーが、あと少し足りなくて、何だかモヤモヤしています。じゃあ、近所をお散歩すれば、と思うのですが、用事が無いからしたくないみたいで。我が儘だなぁと思いつつ、今日は出かけられただけ良し!と自分を慰めています。
自分でも、「アホちゃうか〜」、と思ってしまうのですが、癒やしの過程で、こだわりや我が儘が出てきたときには、出来るだけその思いを、尊重してあげるようにしています。「イヤが言えた自分をねぎらうつもりで、その思いに寄り添っています。
今「アホちゃうか」の表記を確認したくて検索してみましたら、とても親しくて、気心の知れた相手にだけ使うようなフレーズ、という意味合いの記述をみかけました。対人関係の距離感が、うまくつかめない私にとって、この言葉を、他者に使うのは少し難しそうですが、自分自身に声かけする分には、よい塩梅かもしれません。試しに、しばらくの間、使ってみようと思います。
もちろん、こんなお声がけ、少し風変わりですし、あわない方もいらっしゃると思います。お勧めしているわけではありません。ご自身にとっての最善が、それぞれ異なっていることと思います。
アホちゃうかの軽やかさはステキですが、私の中に、こんな思い込みが、多々あるなぁと思って、思わずクスッと笑ってしまいました。
自分自身の今、何が分からないのかすら、まだよく分かりません。日々の試行錯誤、これからも続けてゆこうと思います。

今日の午後、甘さ控えめで煮上げた八朔ピール。砂糖7.5%を試してみましたが、流石に、甘さを控えすぎでした。お写真の物は10%。私には、コレで、ギリギリかな。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。