こんな時、自分のことなのに、何が起きているのか、よくわからなかったりします。
あれこれ詮索せず、きっと今が最善、と、程よい距離から自分自身を見守るように、今起きていることに集中するように、気を付けていました。理由は?とか、原因は?とか、こうなってほしい、、という私の意図を超えた部分で、ゆっくり起きている、大切な変化のように感じたからのようです。
夕方になって、ぽろっと降りてきたのが、「食欲」に関するトラウマでした。トラウマと呼んでよいのかよくわかりませんが、無意識にある、強固な思い込みのような部分で、私がご飯を食べていてよいのだろうか、と、悶々と思い悩む自分がいたようです。
言葉にすると、何を言っているの?という感じですが、緩いアレルギーなどもあり、食の好みが、少し狭くなってしまっていることに、まだまだ罪悪感を抱えているようでした。
あくまで、私の場合ですが、思い込みって、無意識化にあるうちは、なかなか自覚しずらいのです。以前も取り組んだ内容だったりすると、かえって、原因に気が付けなかったり。
自分自身の調整は、ほかの方にお願いすることが多いのですが、今回浮上した部分は、返礼的なニュアンスで、浮かび上がってきたもののようです。
改めて自覚したことで、気持ちが少し軽くなりました。今準備ができていた部分は、手放せていったようです。
以前は、根こそぎ、とか、再び浮上しないように、と、目を三角にしていた頃もありましたが、今は、今必要なだけを手放してゆくことのほうに、フォーカスすることが多いです。ドラマチックな変化も素敵ですが、ゆっくりの変化も、また楽しいです。
一斉ワークは、1月11日の投稿に、ご案内文とお申し込みフォームがありますので、そちらをご覧になってみてください。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。