先週の後半は、実家で両親と過ごしていました。短い時間の交流でしたが、普段見ないふりをしている『人』の側面を、様々に感じることができました。
前回の投稿で、日常と非日常、というお話をしましたが、これが日常であって欲しいという思いと、目の前に流れている現実。どちらも存在はしているのですが、様相はそれぞれ異なっているのですね。
自分が思い描く未来を引き寄せる、というやり方が、しっくりくる方もいらっしゃるので、その部分を得意にしている方も、素晴らしいと思います。その部分が不得手な自分のことを少し恥ずかしく思っていたこともありました。
最近手にした書籍の幾つかを参考に、自分の内観のやり方を、少し見直しています。まだ、試行錯誤の途中ですが、それでも、以前より心が軽くなってきたように思います。
私という一個人を、全体として捉えて行くことを練習して行く感じで、意思の力に頼りすぎないところが、今の私に合っているようです。
私というニンゲンが、今日も生きている、そのことを喜びを持って受け止めている。それだけでも、生きていることが出来て、本当に良かったなぁと感じています。

最近、木よりも、草推し。小さな草が生えているのを見ると、心から嬉しくなります。
最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。