2011年10月25日

10/27「再会のワーク」「いのちで笑え」に込めたもの【10/26改定】

「いのちで笑え」という言葉をキーワードにして、次回10月27日の無料一斉ヒーリング、「再会のワーク」を再開させていただきました。

いのちで笑えという言葉。命令形でご案内しているので、ちょっぴり強いかもしれません。しっくりこない方は「いのち、笑う」とか「いのち、笑ってる」とか、お好きな語尾などに変換なさってゆかれてください。

このタイトルにしたころ、私の中ではどこか切羽詰まった追い詰められた感、行き詰まり感があり、それを乗り越えさせてくれる強い言葉が必要だったのかなあと思っています。

私が「いのちで笑え」からイメージしたものは?恵比寿様みたいに恰幅のいいオジサマがおかしくっておかしくってたまらない。。というようにおなかを抱えて笑っているさまでした。そのおなかでゆすられているのが、一つ一つの細胞であり、その緩やかな振動、はじけるような笑い。。そんなイメージに惹かれていました。

そういえば、「マンマ・ミーア」映画版のエンディングの最後でも、ギリシャの神々がおなかを抱えて大笑いしていましたね。

おなかを抱えて笑う、涙が出るほど笑う。そんな日常もステキです☆でも、この3次元で生きてゆく以上、笑い止む瞬間が来ます。笑い終わって小さく息をつくとき、どこか物寂しさを感じたり。そんな経験がある方もいらっしゃるかもしれませんね。

ごく特殊な例外の方もあるかもしれませんが、世の中の大多数の方にとっては、笑いは時折訪れる非日常の時間であって、ほほえみが浮かんだり、笑顔がこぼれていることはあっても、そうでもない時間もたっぷりあるのが普通なのかなあと思います。

私の中に様々な感情や体験が去来していたとしても、私の中の細胞のどこかでは生まれてきた喜びにはじけるような笑いが伴っている。世界中のラジオのどこかではクラッシック専門チャンネルがあって一日中クラッシックが流れているように、私の身体のどこかでは笑いの波動が伝わっていっている。そのことを感じられなくても、そのことを信じられなくなっても、そんなことが頭の中からすっかり消え去ってしまっていてもいい。私の中のどこかで誰かが笑っている。。といいな〜。妄想というか願望に近い何かです。

そして「いのちで笑え」のもう一つの意味。。私が生まれたころのことがふと思い浮かびました。私が喜びを持ってこの地上にやってきたとき、私の細胞たちに「喜びを伝えた」のは私自身かもしれません。。だとしたら、「いのちで笑え」という「命令!」は私が地上にやってきたときに仲間であり、同志である細胞たちにつたえたメッセージであり、それが地上の言葉に置き換えられたのが「いのちで笑え」という「命令系のメッセージ」なのかもしれませんね。

思うまま綴ってみました。

これが正しい。というものではなく、私の感じ方を綴らせていただきました。もし、そんなことないよ、私はこう思う!というものがありましたら、あなた自身の感じ方を大切になさってゆかれてくださいね。

最後までお読みくださり、本当にどうもありがとうございました☆

★☆10月26日午後21時26分に単語の入れ替えと書き足しを行いました☆★
posted by e-aprico@杏の木 at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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